今日は初ゴルフ
- | comments(0) | - | 住職です。 |
私がゴルフをするというと「お寺さんもするんですか?(°0°)」と、言われることがあります。
反論するわけではないですが、日本のゴルフの歴史では西本願寺の僧侶の影響が多分にあるんですからね。
その名も大谷 光明氏です。
日本のゴルフの基礎を作ったということで「ゴルフの父」とか「ルールの神様」とも呼ばれますが、この方は今の御門主の曾おじいさんになられる方です。ちなみに、妹さんに歌人で有名な九條武子さんがいます。
大谷光明は氏はイギリスに留学して、その時にゴルフを覚えたのですが、当時日本でゴルフをする人は在日イギリス人が中心でした。
ルールをよく理解していない大谷光明はじめ日本人は、そこで“いじめ”に遭います。そこで光明は「外人と対等にゴルフをやり合うにはルールに精通しなければならない」ということで、原書を読んでまとめ上げたのが「ゴルフの註釋と判例」という本です。実はこれは大変な作業で当時イギリスでは簡単なルールはあったのですが、イギリスの憲法と同じでゴルフも判例が中心で煩雑なものでした。それを今でも通じるものにまとめあげたのが今回の本だったのです。。
その中で有名な言葉が、「法律は悪人が存在するものとして作られているが、ゴルフルールは、故意に不正をするプレーヤーがいないという前提で作られている」というものです。
また、ゴルフ発展のために全国にゴルフコースを造ることにも光明氏は積極的関わっていきます。日本最初のゴルフコースと同じように地元のプレーヤーが設計をしようという流れのなかで光明は大反対をして、本場のイギリスからゴルフの設計士を呼ぶことになります。それが日本のゴルフコース設計の基礎を築いたチャールズ・アリソンです。
アリソンは日本にたった三ヶ月の滞在でしたが、三つのゴルフ設計に関わり、光明はすべてに同行して将来自らも川奈ホテル大島コース(1928年開場)名古屋和合コース(1929年開場)など名門ゴルフ場を設計することになります。
また昭和天皇は皇太子時代に従兄弟関係にある大谷光明氏にゴルフを学び、来日されたイギリスの皇太子達に対してペアを組んで親善ゴルフをされました。
それ以来昭和天皇は皇居内の今の吹上御所のあたりにゴルフ場を造るぐらい熱中したのですが、1937年に突然にゴルフをやめられます。そして昭和天皇のお言葉として「ゴルフ場はそのままにして一切、手をつけるな」ということで今でもそのままに放置されることになりました。
ただそれが素晴らしい結果となります。元ゴルフ場は自然の森に戻り、東京の貴重な資料として、「みどりの日」など一年に何日か、人数限定で観察することが出来るようになりました。
皆さんもゴールデンウィークに偶然に誕生した東京の貴重な自然を観に行きませんか?
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